傳貰制度

韓国独自の不動産賃貸制度である伝貰(チョンセ)について、じっくり考察してみます。

韓国の賃貸契約は大きく月貰(ウォルセ)と傳貰(チョンセ)に分けられます。月貰(ウォルセ)は日本の賃貸とほぼ同じで形式で、毎月決まった家賃を家主に支払います。傳貰(チョンセ)は入居時に傳貰保証金として数千万ウォンから数億ウォン単位の大きなお金を家主に預け、その代わりに毎月の家賃は支払わないで済むという、韓国独自の仕組みです。例えば、毎月の家賃100万ウォンを支払う代わりに3億ウォンを保証金として支払います。保証金は日本の敷金のようなもので、基本的には退去時に全額返金されます。

この傳貰制度は日本人には馴染みが薄く、どうしても自国の制度をベースにして考えようとしますので、「傳貰保証金を運用して家賃相当の利益を得る」というような誤った解釈をしてしまいます。傳貰というのはそのような家賃制度の代替手段なのではなく、借主から家主へ傳貰保証金を貸付し、その利子の代わりとして不動産に居住する権利を得るという、金銭貸借の一種として考える必要があるのです。

例えば8億ウォンのアパートがあって、月貰(家賃)相場が200万ウォン/月であったとします。2年後にこのアパートが10億ウォンに値上がりします。このアパートのオーナーが月貰で賃貸に出し毎月家賃を受け取っていた場合、2年後の資産は10億ウォン+200万ウォン×24ヶ月=10億4800万ウォンになります。8億ウォンが10億4800万ウォンになったので、利益率を計算すると31%です。

一方で、このアパートの傳貰(保証金)相場が6億ウォンだったとします。ある投資家は自己資金2億ウォンと傳貰保証金6億ウォンを合わせて、この8億ウォンのアパートを購入しました。傳貰の場合は毎月の家賃収入は無いので、2年後の資産は10億ウォンになります。ただしそのうち6億ウォンは傳貰による借入であるので、純資産としては4億ウォンです。自己資金の2億ウォンが4億ウォンになったので、この場合の利益率は100%です。

このケースでは8億ウォンから10億ウォンなので25%の価格上昇ですが、月貰の場合はそこに家賃収入分が少し上乗せされているだけなのに対し、傳貰では借入によるレバレッジが効いて4倍の利益率になっています。傳貰というのはそのように、不動産価格の上昇による利益(キャピタルゲイン)にレバレッジをかけるための借入なのです。ちなみにキャピタルゲイン目的の投資は韓国では「ギャップ投資」と呼ばれます。

以下、傳貰制度についての詳しい説明を書いてみます。動画では複雑にならないようにできるだけ数字や専門用語を使わないようにしていましたが、ここでは気にせずバンバン書こうと思いますのでご了承ください。

傳月貰転換率

そもそも傳貰保証金の額はどのように決まっているのでしょうか。まず、住宅にはそれぞれの立地や広さによって月貰(家賃)の相場というものが存在します。また、韓国では傳貰(保証金)の相場というのも同時に存在します。それぞれの相場価格はそれぞれの需要と供給によって変動しますが、全くの独立な関係ではなく、ある程度連動しています。

例えば、ある地域で月貰の需要が低く傳貰の需要が高かった場合、需給バランスによって月貰家賃は低下し傳貰保証金の価格は上昇します。ただし、ある価格を境にその保証金を銀行に預金して受け取れる利息が月貰の家賃を上回るという現象が生じます。そうすると借主側は傳貰で家を借りるよりも、その保証金分のお金を銀行に預けて利息を受け取り、そこから家賃を支払う方が有利だと気づきます。その結果、傳貰の需要が減り保証金は低下し、月貰の需要が増えて家賃が上昇します。

そのようにして、傳貰の保証金と月貰の家賃はお互いが影響を及ぼし合っており、その比率がある範囲内に収束するようになっています。具体的には、銀行の預金利息と貸出利子の間に家賃が入るような関係であれば、借主にも家主にもメリットがある状態といえます。

$\frac{預金利息(年間)}{傳貰保証金} < \frac{月貰家賃 \times 12}{傳貰保証金} < \frac{貸出利子(年間)}{傳貰保証金}$

これは以下のような用語で表現することもできます。

$ 預金金利 < 傳月貰転換率 < 貸出金利 $

傳月貰転換率とは傳貰保証金に対する年間家賃の比率です。銀行の預金金利と貸出金利の間には預貸利ざやが存在し、銀行はそこから収益を得ているわけですが、上式のように傳月貰転換率がその間に入るように収束するのです。

過去の韓国銀行基準金利と傳月貰転換率の関係を見ると、かなり似たような動きをしていることが分かります。韓国銀行の基準金利が変動すると市中銀行の預金金利と貸出金利もそれに連動しますが、傳月貰転換率もやはりそれを追従しているということが分かります。

傳貰価格

下のグラフは韓国の物価・住宅価格・傳貰価格の推移を示しています。2005年を基準=100として見た場合、現在の物価は約135という水準ですが、傳貰価格(アパート)は190ほどになっています。2005年当時に比べて現在は傳貰価格が割高になっていると言えます。

住宅価格は投資家の投資行動によって上下に変動するものの、超長期的には物価上昇率に沿った上昇を見せ、月貰価格もやはりそれに近い変動を見せます。それに対して傳貰価格も同様に物価上昇に伴って上昇しますが、加えて傳月貰転換率の変化による影響も受けるため、さらに上昇幅が大きくなります。下式の通り、傳貰保証金は分母側に位置するため、傳月貰転換率と傳貰保証金は反比例の関係になります。これは傳月貰転換率が低下すると、同じ月貰価格に対してより大きな傳貰保証金を支払う必要が出てくるということを意味しています。

$↓ 傳月貰転換率 = \frac{月貰 \times 12}{傳貰保証金 ↑}$

一般に、国の経済が成熟するほど成長率は下がり、金利も低下します。韓国経済がこれまで成長してきたことで金利が低下し、それに伴い傳月貰転換率も低下、その結果として傳貰保証金が上昇したのです。

傳貰は契約期間内は家賃を払わなくて良いため住んでいる間は気楽ですが、契約更新の際には保証金の値上げを要求されることも多いため、更新時期が近づいてくると憂鬱になるという話も聞きます。しかもその値上がり幅は物価上昇率以上ということですから、なかなか大変です。家賃を払わない代わりに、次回の更新に向けて頑張って貯金しておきましょうということですね。

傳貰は損?得?

動画の中でも話していますが、僕たち夫婦は傳貰に自己資金を投入することにはあまり肯定的ではありません。傳貰は保証金によって家賃分のリターンを得る投資だとみなすことができ、傳月貰転換率がその投資リターンとなります。2020年現在、全国の住宅の傳月貰転換率は5.9%ではあるものの、ソウルのアパートに限定すると4.0%です。年4%のリターンというものを高いと見るか低いと見るかは人それぞれです。

もし僕が会社員だったとしたら、本業以外での資産運用から年4%のリターンを得られるというのは決して悪い話ではないと思います。しかし僕たちはゲストハウスというビジネスをしている立場だったため、年4%のリターンよりも、資金がロックされてしまうリスクの方が大きいと考えていました。例えば(実現はしませんでしたが)ゲストハウス2号店の展開などは、手元に資金がなければそもそも検討すらできないわけですからね。

僕は過去に日本企業の韓国支社で駐在員として働いていたこともあり、駐在員の友人は多いです。大抵の場合、海外駐在員の住居は会社側で準備してくれるのですが、少なくとも僕の知っている範囲では、家を傳貰で契約している人は見たことがありません。会社というのは資本を活用して利益を生み出すという目的のもとに事業活動を行いますが、自己資本利益率として10%以上を経営目標に掲げる場合が多いと思います。会社の資本から保証金を出して駐在員を傳貰で住まわせるというのは、会社の資本を期待リターン4%程度の投資先に投じることと同義ですので、資本効率の面から見て経済合理的な行動ではないのです。それよりはそのお金を使って本業で稼いだ方が効率が良いということです。

これは企業だけでなく、個人でビジネスや投資をしている人にも当てはまります。韓国では一般的に、月貰より傳貰の方が上だという認識を持っている人が多いようですが、必ずしもそうだとは限らないというのは知っておく必要があると思います。

今後の動向

2015 年頃までは賃貸契約に占める傳貰の比率が減り続け、その分月貰の比率が増えていましたが、2015年以降は傳貰の比率が少し回復しています。

これはソウルのアパート価格が2015年頃から急激な上昇トレンドに入り、価格上昇への期待感から不動産を購入する投資家が増え、購入した不動産が傳貰で賃貸に出されるケースが多くなった結果だと考えられます。傳貰の供給が増えたことにより、住宅の売買価格は高騰しているのにも関わらず、傳貰価格はむしろ停滞しています。供給も多く傳貰価格も安定しているということであれば、借主側としても傳貰を選択することが多くなり、結果として賃貸契約における傳貰比率が増加したのです。

ただ、これはあくまでも短期的な現象であり、長期的に見るとやはり傳貰は減っていくだろうと思われます。先にも述べた通り、韓国経済が発展するほど、傳貰価格は物価上昇率以上に上昇していきます。ソウルのアパートに限って見ると売買価格の方が大きく上昇していますが、これはアパート価格のバブル的急騰によるもので、全国的には傳貰価格の上昇幅の方が売買価格の上昇幅よりも大きいです。傳貰価格が上がれば上がるほど、借主としては保証金を準備するための負担が大きくなり、傳貰をあきらめて月貰にしようという人も次第に増えてくるでしょう。

また、傳貰は借主と家主の間での金銭貸借として考えるべきだと書きましたが、金銭貸借には担保の設定が必要です。傳貰契約では賃貸対象となる不動産自体が実は担保の役割も担うようになっています。不動産の売買価格が傳貰保証金に対して十分に高いときには借主としても安心してお金を貸せますが、傳貰価格が売買価格に近づきすぎた場合には不動産の担保としての役割が不安定となり、担保割れの懸念から傳貰契約が成立しづらくなるということも考えられます。

過去の経済成長期から韓国の不動産を支えてきた傳貰制度ですが、この先いつまで続くかは何とも言えないところです。


ここまで読んでくださった方がいるのか分かりませんが、韓国の傳貰制度は研究対象としてもとても興味深く、面白い制度であるということだけでも、伝わったら幸いです。ありがとうございました。

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